主人公がサイコパスの物語が多すぎる
Netflixオリジナル映画『デスノート』を今、見ていますが、何人も人を殺しながら若い男女が愛を深めている展開は異常で不快です。
キリスト教圏では「悪人は殺して地獄に落とすべきだ」という考え方がありますが、プロテスタントでは「悔い改め、よい行いをすれば、元々天国に迎えられる運命だった」という解釈のもとに、死刑制度は廃止される傾向にあります。
日本人漫画家原作による『デスノート』というアイディアは世界に衝撃を与えたようですね。
時代に逆行するかのように、悪人を次々と裁いて死刑にしていく様は痛快に見えてしまったのかもしれません。
日本の昭和時代のテレビドラマで例えれば『必殺仕事人』の感覚でしょうか。
わたしは常々、ミステリーでさえも異常さを感じていました。毎回毎回殺人事件が起きているのに、登場人物は人間不信になる様子がなく、精神病の気配すらありません。リアリティを求めるなら、登場人物たちは次々とPTSDになっていくはずです。
それが物語の中では金田一少年もコナンも元気なんですね。
多くの視聴者がメタ認知能力を未熟のまま見ていることが想像できますが、世界で同じく有害と考えられていた『セーラームーン』や『北斗の拳』よりは、ミステリーのほうがずっと有害に思えます。
中国では社会への悪影響を鑑み、『デスノート』のコミックやグッズは没収されるそうです。
ベルギーでは『デスノート』の登場人物「キラ」を模倣した殺人事件が起きました。
ロシアでは『デスノート』の配信禁止が決まりました。
『必殺仕事人』ではそのように感じません。不思議と『地獄少女』でも感じません。
何が有害で、何が有害ではないのか、何が犯罪を誘発してしまうのか……。
『シン・エヴァンゲリオン』でもそうでしたが、物語とはいえ、みなさん殺し過ぎですよ(汗)
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